きれいは汚い、汚いはきれい

右と左、+と−を間違えたとき、頭の中に閃いたものがあった。

それは大胆かつ奇妙な仮説だが、左も右も等価、+も−も等価という考えで、現実には一歩間違えれば重大なことになるのは承知している。しかし上と下の価値も、ただ上が良くて、下が悪いと思い込んでいるだけであって、実際は価値の差でしかなく、優劣ではないのではないか?

つまり下位の価値を低いとし、上位の価値を高いとする判断は、時代的、文化的なものにより規定されているのではないか?

どうして健康が善で、病気が悪と言えるのか?それが当たり前だと思っているからで人体に悪だからと言って即、悪とする理由はない。それが唯一の理由なのなら不十分であり、厳密な意味での根拠とはならない。ここに思考停止を見る。

マクベスの台詞に「きれいは汚い、汚いはきれい」という言葉がある。詩人の直感は、時に最先端の科学をも飛び越える。