それぞれの理解

人間に対してであれ、物事に対してであれ、何かを理解するとき同時に自分の理解の法則に従っている。同じ現象に対しても、人それぞれ理解の仕方が異なるのは理解の法則が人それぞれ違うからである。人はおのれの器の範囲内で物事を理解し解釈する。理解が深くなるためには理解するための法則そのものが深淵かつ豊かでなければならない。謎を理解しようとする者は、自身にも謎を秘めている。

世界の認識と物事一般の理解とは、どこがどう異なるのか?世界の認識の仕方にその人の特徴が端的に現れるが、主観が何から成り立っているかによって理解と認識の度合が違ってくる。

単純に、よい主体はよい世界認識を持ち、反対に悪い主体は悪い世界認識を持つと言える。よい主体と悪い主体がどのように構成されるかと尋ねるならば、生まれ育った環境、そこから生じた気質と日常習慣や癖、興味の方向や嗜好などによるであろう。誰しもが偏見の眼で世界を見ており、それがどのような偏見であるかは本人には解らない。真実は常にその人にとって歪んでいる。