混沌に体系を与える

レビィ=ストロースの「野生の思考」。

未開人は野蛮と見做されてきたが、彼らの思考が西洋人と同水準と言えるほど秩序立ったものでかつ明晰であることを著者は示した。つまり見方を変えれば立派に深い意味があった。

未開人の言動や風習の理解は、西欧の理性から捉えられたもので無意味、不可思議、奇妙で愚かなものという一方的な偏見の中にあった。

レビィ=ストロースは、一見無秩序に見える未開人の思考と行動の内に秩序を見出した。ここがポイントであり普遍的な思想である。

いまここに了解不可能な他者あるいは現象があるとする。これを理解可能にする手法を発見することができれば、了解範囲内に持ち込める。混沌に体系を与える作業の可能性を彼は教えてくれる。

2016現在、未開人と同様、東洋の内向き文化の潜在的な卓越性はそれほど認知されていないように感じるし、数学も科学も西洋的思考から生じたものに過ぎない。過ぎないとは東洋的なる数学とは語弊があるが、そのような何か未だ価値体系に収まっていない、新しい認識のための知的な方法や手段があるかもしれないのに。

価値体系を与える主体は誰かと言えば、西洋的で意識的な思考である。知的という言葉には頭脳主義の臭いがする。ロダンの「考える人」にその典型を見る。

思考のベクトルはIQに代表されるように未だ西洋から東洋の方向に向いているのは何故か?

そして東洋からみた西洋となる時代が、やがて到来するのか?