歪曲される言語

言葉だけで、その人を判断することはできない。なぜなら、彼の思いが言葉に変換されるためには技術が必要だから。これは自分の思春期の頃を想像すれば分かる。言いたいことが上手く言葉で表現できないもどかしさを感じたはずだ。

他人は言葉でしか判断しないが、言葉の運用のうまい人と下手な人がいる。

言葉になる前の観念は、彼らの頭の中にある。彼は、その観念をどのようにしたらそのままの形で、言葉に変換できるかに尽力する。

うまく言葉にできたとしても、次の問題に直面する。すなわち、それを理解しようと試みる第三者の了解問題である。言葉がその通りに理解されれば本望だが、人間の理解には癖がある。第三者の思考習慣に則り、言葉の真意を都合のいいように解釈しようとするだろう。この時点で、初めの言葉はかなり歪曲される。

こうしてコミニュケーションは誤解される。