五輪と顔

五輪と顔の教訓。

いい顔の定義は、目標に向かって邁進しているときの顔である。さらに詳細には、自分自身と闘っているときの顔は、誰もがいい顔という。平和の状態より、緊急時や戦闘時に顔が輝いて見えるのは皮肉。逆に、満足しているときは可愛い顔。充足は平和である。だが「いまよりもっと偉大な方に向かって」いる動的な緊張状態に万人が共感するのかもしれない。

噛むような寒さ。耳が引きちぎられそうだ。筋肉は緊張して石のように固まる。ウオッカのない厳しいロシア体験。冬には忍耐という言葉がよく似合う。体に年輪が刻まれた。恰も静かな樹木の如く。こうなったらいい。思う存分に冬の言い分を聞こうじゃないか。お前の本領を発揮したまえ。

魔術としての言葉

言葉は魔術。なぜ言葉が理解できるのか?まだ頭にない意味がなぜ言葉で分かるようになるのか?新しい概念を知る過程は不思議。確かに既存の概念の関係から新しい概念を導きだしている感覚はある。あたかも未知を方程式のXとして解を求めるかのよう。

なんか変だな=正解

上に向かっている人と、下に向かっている人は見てすぐ分かる。社会のシステムの理解がないと、急激に落下する。大まかな流れを把握しないとまずい。なぜなら、その人は自分がどこにいるのか分からないし、どちらに歩んでいるのかも知らないから。本来、不安であるはずだが、そう感じないとすれば、みんなと一緒にいる(同じことをしている)ことから安心を得ているからだろう。隣人と一緒だから安心というのは違う。もし、何か変だなと思いはじめたら恐らく正解。常識かつ異端であれ。